久々に“中島義道”先生。

 

 

 

 

 

 

 

『自分が何を考えているのか、

 

何を求めているのか、

 

何をしたいのか、

 

何を感じているのか、

 

サッパリわからなくなっている。

 

 

自分と「みんな」との区別がつかない生き方をえいえいと続け、

 

それに疑問も覚えない。

 

 

こうした人間が犠牲者でなくて何であろう。』

 

❇︎ 中島義道『<対話>のない社会』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうした人間が“犠牲者”って言い切るところが、中島先生らしいと思う。

 

 

何に対しての犠牲者なのか、きちんと立ち止まって考えないと、

 

読んで字の如く受け取ってしまうのが、

 

今の多くの日本人だから。

 

 

 

 

「何故に犠牲者たらしめるのか、犠牲者を生み出す根源とは何か」

 

 

“そこ” が問題提起だから。