連休中日、午後の思考。※追記アリ※

 

 

 

 

 

おい、日本。

 

祝日多過ぎやねん。

 

 

祝日で休んだ分、

 

稼働日の仕事の負担が増すようなシステムを解消してから祝日増やせやマジ片手落ち国家。

 

 

お上が休みたいだけってのがあけすけなんだわ、このボケカス。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

休みの日はだいたい、

 

予定がなければ9〜10時くらいに起きる。

 

 

起きたらまずツイッターチェックして、

 

その後、コーヒー飲みながら録画しといた番組をボーッと観るんだが。

 

 

思いの外発見やら感動を得たりして気づくと泣いていたりするw🥺

 

 

 

昨日の朝はSMTM 8のファイナル観て泣いたw

 

 

 

てか、

 

噂には聞いていたけどちゃんと観たのは8が初めてでさ、SMTM。

 

 

今回はかなり若手の参加者が多かったらしい。

 

あたしが気に入ったラッパーは、

 

ソ ドンヒョンくんとパンチネロだね。

 

 

パンチネロが優勝したんだけど、ドンヒョンくんも準決勝まで残ってたしね。

 

ドンヒョンくんは高校生だよ。

 

あの感覚とセンス、マジパネェ!

 

 

 

最終回だからって事で10代の4人のラッパーでコラボしたんだけど、

 

4人ともめっさchill〜〜でもあたしの中ではドンヒョンくんが群を抜いてたね😉

 

 

 

 

 

 

今までずーっと、

 

特にラップに対して興味を持った事はなく。。。

 

 

てか、

 

あくまでも音楽の中のひとつとして捉えていたから、

 

わざわざジャンルとしてラップに注力して聴いた事がなかった。

 

 

 

 

ラップをもっと注力して聴こうと思うようになったのはバンタンの存在がデカい。

 

 

 

 

ラップの聴き方の入口がバンタンって事は、

 

実は結構特殊というか、

 

必然的に、

 

“歌詞に対する解釈とか好き嫌いのハードルが高い”

 

と自負している。

 

 

 

 

要は、

 

「くだらねぇ歌詞なら聴かねぇ。。。」ってw

 

 

 

ただの悪口的disりや過激な言葉の羅列、

 

差別や偏見やハラスメントを肯定するような歌詞なら視聴拒否するって事。

 

 

そんな脳と耳でラップの解釈に挑む。

 

 

 

今回のSMTM 8を観ていて考えた事は、

 

 

ラップの歌詞のセンスが素晴らしいラッパー、

 

ラップが上手いラッパーは、

 

だいたい総じて “頭がイイ” って事。

 

 

 

要するに、

 

言葉の選び方のセンスが素晴らしく、言葉の繰り出し方が美しい。

 

 

 

そしてそういう人たちはだいたい、

 

インタビューの応答や他者と会話する時に咄嗟に出てくる話し言葉もハイセンスなんだよな。

 

 

 

ほんの一瞬の間に、

 

自分が伝えたい事をなるべく正確で忠実に、

 

その上、他者がどう受け取るかまで考慮している。

 

 

頭が良くなきゃできないよ、そーいう事って。

 

 

結論: 【 優秀なラッパーは賢い 】🤔✨👑

 

 

 

 

 

 

だがしかし、

 

先週あたり日本では、

 

またしても男性ラッパーが女性ラッパーにたいしてミソジニー全開で問題になり、

 

ツイッターからラジオ番組にまで発展したけど案の定結果は惨憺たるもので、

 

またしてもミソジニー中年ラッパーとそれを擁護する他のミソジニー男どもプラス名誉男性どもが身内で自画自賛して勝手に手打ちして終わった。

 

傷つけられた女性ラッパーと彼女を擁護して一緒に叩かれた女性たちは置き去りのまま。

 

 

 

もうウンザリだ。。。あんなクソ文化いらねぇ。

 

日本の音楽はジャンル問わず衰退の一途だとあたしは理解している。

 

 

だからあたしの中では需要がない。

 

 

 

まじ、

 

悔しかったら韓国から学んでくれって思う。

 

 

韓国にも色々問題はあるに決まっているが、

 

少なくとも問題提起と自浄作用は日本よりかなりある。

 

 

それを0基点とするなら、

 

日本は地球7周分遅れてる。

 

少なくとも、

 

日本が韓国の問題をあれこれ批判する立場にはない。

 

まず、同じ高さのステージに立ててないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

若い内は、

 

何かと考えがちなのが、

 

「自分とは何か?

 

てか、本当の自分とは?」

 

みたいな事。

 

 

 

所謂アイデンティティの模索とでもいうか。。。

 

 

 

でも、

 

その内分かってくるのは、

 

「自分とは決して “ひとつ” ではない」

 

という事。

 

 

 

あんな自分、こんな自分も、

 

すべて含めて【私】である。。。と。

 

 

 

多様な自分が寄せ集まってアイデンティティは形成されている。

 

 

 

だから、

 

必要以上に“自己矛盾“ に苦しまないで欲しい。

 

 

 

てか、

 

悩むなって言われて悩まなくなるなら初めから悩んでないよな?。。。w

 

 

うん、

 

自己矛盾に悩むのはそれだけ真面目で誠実で謙虚な人格だからだ。

 

だから悩むし傷つくんだ。

 

 

でもだからこそ、ちょい聞いてくれる?

 

 

 

 

 

 

自己の中にいくつかの要素を見つけては、

 

ひとは1つのシンプルな要素でのみ、ひととして正しく生きられるというような、昔からのステレオタイプな思想に視界を狭められ、

 

いつの間にかバイアスがかかってしまいがちだし、

 

そのバイアスの範囲に自分が該当していないと悩むのだろうけど、

 

そういったバイアスはなるべく取り外す意識を持った方がイイ。

 

 

どうしても、

 

これまでの思考の癖や身を置く環境からか、

 

なかなか簡単に変える事ができないからこそ、気づいた度に意識する。。。

 

 

新たな意識習慣として、

 

“自己思考のスキャンとアウトプットとインプットとアップデート“

 

 

を推奨します😉

 

 

 

 

 

多様性の話題になると必ず言われる、

 

『ひとは誰一人として同じではない』

 

 

。。。と理解できているなら何故、

 

 

 

『多様な要素を以ってして自分のアイデンティティは形成されているのだ』

 

 

。。。という概念は理解され難いのか?

 

 

 

 

他者と自分との関係性の多様性が理屈として理解できるなら、

 

自分の中の多様性も、あって然るべきだと、まずは理屈として認めてイイはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あぁ。。。

 

何か取りとめの無い事を書いているなw

 

 

 

ちょっと休憩がてら韓国語の勉強しますわ💜

 

 

 

 

 

 

 

※追記※

 

 

コレだけは言える。

 

 

 

悩むってめっさツラい事だけど、

 

悩むって事はそれだけ真剣に生きている証拠だ。

 

 

自分の人生を真剣に考えて生きてる人って、

 

あたしは立派だと思う。

 

 

国籍や性別や年齢関係なく尊敬するよ。

 

 

 

 

願わくば、

 

どうかツラさをひとりで抱え込み過ぎないで欲しい。

 

 

ツラさを抱え込みすぎないための方法を、さっき上に書いてみたんだ。

 

 

 

ちょっとでも役に立てたら本望☺️