あたしが頭の中に常日頃思い浮かべてきたある言葉は、
日常的に人間が使うニュアンスのものではなくて、
どうやら “馬” 限定の用語だったらしいw 🐎
だけど、
それなら敢えて、馬用語を人間に当てはめて使おうと思う。
『並走』『併走』
どちらも「へいそう」と読む。
だけど、ニュアンスはちょっと違う。
『並走』の方は主に2頭が並んで走る事。
『併走』の方は、2頭でも使うけど主に複数頭で走る時に使う。
でも、
どちらもみんな、スピードを合わせて並んで走るという意味。
あたしの頭の中に常日頃存在する言葉は、
『併せ馬』(あわせうま)
文字だけ見ると、『併走』になるけど、
あたしが知る、競走馬のトレーニングの『併せ馬』は、
2頭が並んで走る姿。
なぜ、
競走馬のトレーニングに『併せ馬』があるのかというと、
お互いの存在、お互いの身体能力の違いや特徴を意識しながら、
敢えてスピードを合わせて、ずっと同じ速さで走る。
そうする事で、
ポジティブな意味でのライバル意識が持てるし、
相手に合わせつつ自分をコントロールするスキルを身につけられる。
お互いがそのように、同じモチベーションでいる事が重要。
走るスピードは、
トレーニングのセット数毎に変えればイイのだから、
無闇に煽ったり、闇雲にダラダラしたりする事もない。
このようなトレーニングを行う事で、
競走馬の身体能力や技術が向上するだけでなく、
メンタル面にも効果があるとされているんだ。
ただ自分勝手に走りたいように走って、無駄に体力を消耗したり、
ケガを誘発するような行動を、自ら回避できるようになる。
要は、
良い意味で“オトナになる”という事。
もちろん、
走るだけてはなく歩く事に関しても、
競走馬にはちゃんと用語があって、
並んで歩く事は、
『並歩』(へいほ)『常歩』(じょうほ)
というらしい。
まぁ、競走馬なんで、
並んで歩くよりは並んで走る事をより重点的にトレーニングするんだろうけど。
さて、
何でこんな事をわざわざ書いているのかというと、
人間にも必要な感覚だと思ってね、
『併せ馬』の感覚。
まぁ、人間だから、
走るよりは歩く方がニュアンスにはしっくり来るけどね。
何だろう?
決してお互いに譲り合い過ぎて本音を言えなくなるとか、
そういう事ではなくてさ。
気を遣い合いすぎて自分を出せないのは、
結局巡り巡って考えると、併せてはいない事になる。。。(意味わかる?)
要は、
ポジティブな言動ができないって事は、
相手にとっても自分にとってもダメージだからだ。
良くなるための事をしない、
良くなる事を遠ざけているんだから。
人間にとっての『併せ馬』とは、
お互いが良くなるために、闊達なやり取りをして、
時に意見が食い違ったりしても、
相手の真意を探り理解するべく、気持ちを寄り添わせるとか、
それに対して自分の意味や考えの、
どの部分をもっと相手に理解してもらいたいと思って言葉を尽くすか、
どの部分は妥協できるか、
相手と自分の考えをどうにかしてマッシュアップできないか、
更に何か、良い発想ができないか、等々。。。
そのようにする事が、所謂「併せる」って事なんだと思う。
で、
何でこんな事を書いているのかというと、
基本、フェミニズムについて女たちが闊達なやり取りをしていると、
横からフェミニズムに理解ある?風の男が入ってきたりする場面が多々あるが、
そういった場合、
ほぼ8割方、その男が「俺の理想のフェミニズム」を語り出し、
その理想のフェミニズムとやらはほぼ、
男に都合のいいミソジニー丸出しの内容だったりする。
初めからフェミニスト女性の意見なんか聞く気はないんだ。
要は、
フェミニスト女性を掌握したいだけなんだ。
フェミニスト女性の口を塞ぎたいだけ。
そういった場合、
途端にフェミニスト女性たちからは総スカンを食うし、
「てか黙れクソオス。
女である事の弊害を経験した事もない、ペニスつけた性が女を、フェミニズムを語るな。
寄り添う気がないならここに来るな。
お前に発言権は無い。」
って宣告されて終わるんだが。。。w
それ。
「寄り添う」という気持ちや姿勢。
それってさ、
そいつがホントに持っているか否かは、
当事者から見るとすぐにわかるものなんだよ。
なぜなら、
『物心ついた時から大抵の女はうっすらと男が嫌い』
だからw
そんな女たちがなぜバンタンを好きなのかというと、
バンタンは持っているからだ。
寄り添う気持ちを。
彼らは『併せ馬』ができている。
彼らメンバー同士でも、
アミに対しても。
それがわかるから、
伝わってくるから、
たくさんの女たちはバンタンが好きなんだ💜