すまん。
昨日もう一回書くかもゆーとったのに、来なかった。
TXTのカムバック見届けてから、
何となく日中フォロワーさんとやり取りしてた事を思い出して、
ようつべ漁ったり、
そこから読書に発展してしまった。
昨日、
とあるフォロワーさんが書いてたんだ。
『今の日本のこの体たらくは、
きちんと思考する事をしないからだ。
子どもの内に、思考するという事を教わっていないまま大人になるからだ。
日本は、
小学校から“哲学”を授業に取り入れるべき。
そして考え方の基礎を根付かせるべき。」
って。
ホント、その通りだと思ったんだけど、
そもそも“哲学”って言葉が既にイコール“難しい”って感じで拒絶反応が出てくると思って、
「っていうか、考え方の道筋を学ぶ、それをどうやって言葉として他者に説明するかの方法、
こう言ったらちょっと選ぶ言葉がアレだけど、
『思考の論理』を学ぶとでもいうべきか。。。?」
って返したら、
そこから哲学の話になってさ。
そもそも哲学って、
小難しい顔した学者が小難しい言葉をこねくり回して、
結局何言ってんのかわかんない。。。ってなるけど、
実は凄く分かりやすく哲学してくれた哲学者もいたよね。。。
そう、【池田晶子】。
って会話が盛り上がってね。
そしたらいてもたってもいられなくなり、
まず、生前の池田先生の映像を探した。
懐かしい。
まだ久米さんがニュースステーションやってた頃だ!
この本が出てヒットしてた頃って事は、
恐らく今から16年くらい前。
ぶっちゃけこの本はあたし持っていないんだけど、
こっちなら持ってる↓
そしてこの本を昨夜、急きょ再び読んだ。
『考える』という事を、いま一度考える。。。みたいな。
凄く集中できて有意義な時間を過ごせた。
『考える』を考えるきっかけとなったのは、
やっぱさっきの↑の映像で、
池田先生が森永卓郎氏に笑いながら言い放ったあの一言に尽きる。
「それはやっぱり考えが足りないからwww 」
「人は何故生きるのかを考えていると途中で怖くなる。
先生は死にたくなっちゃう事ってないんですか?」
の問いかけに、
「だから、それは逆でしょ?
その死とは何かを考えているからこそ、
死にたくなる理由はないですよねぇ」
嗚呼、correct ‼︎
そう言った池田先生は、2007年に癌で亡くなってしまったんだけど、
多分先生は、
亡くなる寸前まできっと死について考えていただろう。
そしてきっと、
「私が死ぬその瞬間を私は知らない」
って考えていたはずだ。
。。。だから、死は怖くない。
って事になる。。。はず。
目がヤバみ。。。すべてがボヤけて見える。
眼鏡の度が合わなくなってきた。