言葉への拘り

 

 

 

 

 

 

元々、言葉への拘りってけっこうあったと思うんだけど、

 

最近特にそうかもしれない。

 

 

いちいち気になってしまう。

 

例えばテレビCMの中のキャッチコピーとか、アナウンサーの読む原稿とか、

 

報道番組に出てるコメンテーターとやらのコメントとか、

 

不快だから殆ど観ないけど、ザッピングしてる時にたまたま耳に入ってきてしまう、

 

バラエティ番組での出演者の言葉とか。

 

 

 

ニュース原稿読んでるアナウンサー自身に直接非はないとしてもさ。

 

いやいや、そんな簡単に他国を「反日」呼ばわりするような原稿をさぁ、

 

よくツラッと読めるよね、全国放送で。。。って思ったり。

 

 

コメンテーターやら何やらも、”日本スゴい!”  から始まって、お隣の国々を卑下したり、平気で言うよね?公共の電波使って。

 

今は戦前か?

 

 

 

さっきもツイで一瞬フォロワーさんと盛り上がったんだけど、

 

某ニキビケアシェアNo1らしいメーカーのCMでさ、

 

「顔の毛穴は数千万個。。。その数千万個全部がニキビになったら??」

 

的な脅し文句でニキビケア商品買えっていう謳い文句な。

 

あのCM内容は多分、2月に入ってから変わったと思うんだよね。

 

それまでは百歩譲ってはいはい。。。って感じだったんだけどさ。

 

いやぁ。。。アレは無いべと。

 

 

そのCMを、おっさんからの好感度めっさ高い、某お笑い芸人の娘がやってんの。

 

あたし的にはどう考えても、あの子の立ち位置は第2のベッキーだよなぁって、あの子が出てきた時からずっと思ってて。。。

 

そんな子がいつか、年頃でやれ恋愛しましたとかでまたいちいち言われるんだろな。。。まぁ、いいけど、芸能人だし。

 

いい子を売り物にして消耗されていくのってさぁ。。。ツラいだろうね?

 

 

 

 

 

 

(おっと。。。脱線してしまったw)

 

 

 

 

 

 

例えば書き言葉だったら、読み手がどう受けるかを想定して、ある程度前もって手直しはできる。

 

 

ブログって典型的。

 

実際あたしも、話し言葉調で書いていても、書いてる内容は考えながら、手直し入れながら書く。

 

なるべく自分の気持ちに忠実に、伝えたい事をどう表現すれば読み手にストレートに伝わるかとか思って書く。

 

 

恐らく、歌の歌詞もそうだよね?

 

あと小説も、詩も、俳句や短歌なんかものスゴいハイレベルだと思うしね。

 

哲学なんかでも、すんげぇ難しい事書いている著書ももちろんあるけど、

 

最近の哲学者だと、

 

その哲学者の言葉の駆使の仕方によっては、ストンとお腹に落ちるってこともけっこうあるから、敬遠しないでとっついてみてもらいたい。

 

そこで言葉の大切さとかが案外わかったりするし。

 

 

 

 

 

 

でもさ、

 

かたや、いくら手直しできるのが書き言葉だとしても、

 

そもそも、何を表に出して行こうかという書き手の気持ちや意図次第で、

 

時に話し言葉とおんなじように危険を孕む場合もある。

 

顕著なのはニュースの原稿とか番組の台本。。。まぁ、さっきも書いたけど。

 

明らかな意図をもってその原稿、その台本を書いていて、それを第三者に読ませている。。。それがマジョリティの言葉であるかのように。

 

 

多くの人は、その内容をなんとな~く。。。もしくは、何の考えも抵抗もなく自分の耳から聞き入れている。

 

そしてそれに対して何ら疑問や反発も感じず、そのまま自分の思考や意見として内側へ馴染ませてしまう。

 

恐らくそれが目的なんだ、発信者は。

 

 

 

 

 

何でそのまま受け取ってしまえるんだろう?

 

何でそのまま自分のものとしてしまえるんだろう?

 

 

自分の考えや意見はないのか? 疑問に思う事はないのか?

 

”引っかかる” って事、ぜんぜんないのか?

 

 

 

あたしは毎日引っかかりまくっている。

 

だから世の中が生きづらい。

 

あれやこれや、いちいち言葉に引っかかっては深堀りするからだ。

 

それについて考え過ぎる。

 

だから時々急に滅入る。

 

 

でも、

 

なにも考えないで誰かの言葉に軽々と洗脳されるよりマシだと思ってる。

 

 

 

 

 

せっちゃんが3月に新しいアルバムを出すんだが、

 

そのアルバム曲の1曲、こないだ解禁になってMVも出た。

 

gyao.yahoo.co.jp

 

めっさシンプルな歌詞だし曲だけど、

 

 

『もっともらしい言葉で、誰か教えてよ』

 

 

っていう歌詞がめっさ好きだ。

 

 

要するに、

 

そうやって常に、

 

この心持を、この思考を、どうやったら正確に、不特定多数に、もしくは限られた伝えたい相手にきちんと伝えられるのか、

 

その言葉を、表現をずっと考えていて、

 

それでもまだ正解が分からないから誰か教えてくれっていう事なのかと思うんだけどさ。。。

 

 

まぁ、ちょっと揶揄も入ってるのかと思いつつ。。。

 

結局誰も教えられるはずなんかないだろ?っていう。。。

 

 

 

 

 

最後の方にせっちゃんのバックに出てくる画像たちは、せっちゃんが自分で撮ったものらしいよ。

 

 

せっちゃん、昔からFCサイトで【太陽の目安】ってコーナー持ってて、

 

そこに自分で撮った画像載せてて。。。ここ数年ずっとupされていなかったけどw

 

 

去年のフェスの時期に野田洋次郎くんからフィルムカメラの魅力を色々聞いたらしく、

 

それからまた撮り出したっぽいね。

 

 

イイよねぇ。。。どんどん撮って欲しいわ。

 

 

 

 

 

 

言葉だけでは足りないから音楽に乗せたり、絵や画像や映像を足したり、

 

そうやって人は、自分の中の何かを自分以外の人に伝えようとしてきた。

 

 

そしてやっぱ、1周廻って言葉に戻る。。。

 

まずは言葉在りき。

 

 

 

 

 

もっと、

 

誰が何を言っているのか、その言葉にはどんな意味があるのか、

 

そしてそれを自分はどう解釈しどう受け止めて、是非を決めるのか、

 

真剣に考えて、向き合って欲しい。

 

そしてその結果を、自分の言葉で外に出して欲しい。

 

 

 

てか人はそうしないといけないって思う。。。言葉の文明を持っているのだから。